2015年8月5日「戦後 70 年・安保法制を許さない京都大学人の集い」スピーチ 岡野八代

みなさん、こんばんは。同志社大学の教員・岡野八代と申します。

合衆国のベトナム戦争時に思索を重ね、『市民的不服従』という著作をも執筆した哲学者、ジョン・ロールズが1971年に出版した『正義論』は、つぎのような言葉から書き出されています。

真理が思想の体系にとっての第一の徳であるように、正義は社会の諸制度がまずもって発揮すべき徳である。[…]どれだけ効率的でうまく編成されている法や制度であろうとも、もしそれらが正義に反するのであれば、改革し撤廃しなければならない。

同志社大学では、7月13日の衆議院特別委員会における村田学長の公述人としての発言を問題視する有志がまず集まりまして、25日には緊急集会、そして現在は、「安保法制に反対するネットワーク@同志社」という同志社大学にかかわるあらゆる人を含んだ運動を展開しようとしています。村田学長は、「今回の法案については反対の声が大きく、私の立場は少数派に属します。少数派の意見もしっかりと表明すべきだと考え、あえて公述人をお引き受けしました」という釈明をしており、あくまで一研究者としての個人的見解であることを強調しております。

しかしわたしは、大学という社会の諸制度の一つ、しかも批判的精神の涵養という民主主義にとって重要な役割を果たす機関に携わる者として、立憲主義を根底から覆す今回の安保関連法案には、反対の意思表明をするのが、正義に適った行動ではないかと考えています。以下、その理由を三点述べさせていただきます。

まず、今回の安保関連法案は、今年4月に改訂された「日米防衛協力のための指針」を実施するための国内法整備という性格があり、アメリカ軍など、他国の軍事行動と一体化した後方支援を世界中どこでも自衛隊が行うことを可能にするものです。しかも、9.11同時多発テロ以降の米軍の軍事行動は、テロを加速化させ、憎しみの連鎖を増幅させ、市民を巻き込む無差別攻撃やアブグレイブやグァンタナモでの拷問など、数々の国際法違反を繰り返しています。政府与党は、いたずらに極東周辺の事態へと市民の目を向けようとしていますが、「周辺事態法」を改訂し「重要影響事態」関連法へと地理的条件をはずしたことは、自衛隊を地球規模で展開させ、暴力と憎悪の連鎖のなかに日本が組み込まれることを意味しています。

第二に、自然科学であれ人文・社会科学であれ、知を探求する機関である大学での教育とは、わたしはなぜ存在しているのか、といった哲学的な問いに収斂されるような、存在にかかわる思索を行うことです。存在するものの意義、そしてその価値をみなで探求する。この営みは、あるものへの、世界に存在する多様なものへの愛着にも貫かれていなければならないでしょう。もちろん、過去にはそして現在でも、創造のための破壊、平和のための戦争といった考え方が存在します。しかしながら、多大な破壊と殺戮、多くの犠牲を出した先の戦争の反省のもとで作られた日本国憲法は、かけがえのない存在の有難さを見つめていくといった、攻撃や暴力を伴わない知のあり方、創造の仕方をも示しているのではないでしょうか。

第三に、現在の大学は、そして大学関係者の人口割合が、都道府県のなかで最も高い京都では、さまざまな国からの多くの留学生や教員が共に学び、異なる文化や生活実践、ときに相対立するような歴史認識や政治文化について、議論し、理解することに努めてきました。異文化交流・多様性の理解、そして異なる政治文化に対する深い洞察は、自らの足元の文化や歴史を、批判的に学びなおす機会でもあります。大学に勤める教員であるわたしは、そうした平和な議論空間を、昨今の野蛮だとも思える政治的介入から守ることが、自らの社会的責任の一つだとも考えています。わたしが安保関連法制に反対の声を挙げるだけで、同志社大学も反日か、といった脊髄反射のような、空虚な罵倒がなされる雰囲気も醸成されているなか、立憲主義と民主主義を破壊する安保関連法案は、人類の知恵に対する愛をも破壊するものとして、強い反対の意志をここに表明したいと思います。

最後に、もう一度ロールズに返ってみます。かれは、合衆国の知識人として、米軍の広島と長崎への原爆投下を「道徳的な悪」として批判しました。戦争、そして武力行使は、必ず一部の者の犠牲のうえに行使されます。

冒頭で引用した有名な一節は、つぎのように続きます。

「すべての人びとは正義に基づいた〈不可侵なるもの〉を所持している[…]。一部の人が自由を喪失したとしても、残りの人びとがより大きな利益を分かち合えるならばその事態を正当とすることを、正義は認めない。」

誰かに犠牲を強いる、個人の尊厳を奪う安保法制に、これからも一緒に反対していきましょう。